> この橋は南田橋と言っていたような気がします。
> 玉祥寺温泉は、下町に住んでいたころ、小さかった子供を連れてよく行っていました。
幸さんいいところに住んでいましたねえ。子供の手を引いてどじょう坂を下って、橋を渡り橋を渡り玉祥寺温泉にいくなんていうのは、いい思い出でしょうね。
最近の散歩コースで下町から迫間川へ下り(昔の階段が整備されています)新しくできた「つなぎ石」という飛び石を踏んで向こう岸に渡り、南田橋を渡ってどじょう坂を上ります。そのときに見上げると左手にアパートがあるので住んでいたのはそのあたりでしょうか?
玉祥寺温泉の付近に「養老院」があると聞いた幼少の記憶がありますが、事実でしょうか?
>
> キンさんありがとうございます。キンさんの投稿で玉祥寺橋の姿が浮かびました。土台の部分は丸石の詰まった蛇篭でその上に丸太が組まれてその上に開いたが並んでいました。この橋は玉祥寺温泉が入湯客のために私費で掛けられたものと誰かが教えてくれました。幼なじみのK君とその橋を渡った記憶がありますが、玉祥寺温泉に入った記憶はありません。
>
> と、ここまで書いて「玉祥寺温泉とは何だったのだろうと思って検索してみたら、『菊池温泉掘削物語』と言う本のリンクが出てきました。何と菊池温泉掘削のドキュメントです。表紙から奥付まですべて読むことができました。当時の隈府の人たちの温泉掘削に掛けた情熱に私は大感激しました。
>
> https://www.sanwa-a.co.jp/theme/sanwa/img/story.pdf
>
> ご一読を薦めます。
この橋は南田橋と言っていたような気がします。
玉祥寺温泉は、下町に住んでいたころ、小さかった子供を連れてよく行っていました。
> > ・少し上流の方へ川岸を歩いて行くと玉祥寺温泉へ行く途中
> > “欄干のない木製橋(板張り)”で作られた橋が架けられており
> > 結構友達とはしゃいで渡りました、大雨や台風が来ると片方の岸に
> > 巻き取られていた光景が思い出されました。
> > 木製橋(板張り)概略;記憶ですのでだいたいです
> > 水面から約2mから2m50p程度、長さ50mから60m程度
> > 橋脚は川石で器用に積み上げられていました今思えば職人さんの
> > 仕事だと思います。
> > →現在はコンクリート製の橋に変わっていると思います。
> > ・木製橋(板張り)の目と鼻の先に下ン川がありそこでも
> > よく泳ぎました。
>
> キンさんありがとうございます。キンさんの投稿で玉祥寺橋の姿が浮かびました。土台の部分は丸石の詰まった蛇篭でその上に丸太が組まれてその上に開いたが並んでいました。この橋は玉祥寺温泉が入湯客のために私費で掛けられたものと誰かが教えてくれました。幼なじみのK君とその橋を渡った記憶がありますが、玉祥寺温泉に入った記憶はありません。
>
> と、ここまで書いて「玉祥寺温泉とは何だったのだろうと思って検索してみたら、『菊池温泉掘削物語』と言う本のリンクが出てきました。何と菊池温泉掘削のドキュメントです。表紙から奥付まですべて読むことができました。当時の隈府の人たちの温泉掘削に掛けた情熱に私は大感激しました。
>
> https://www.sanwa-a.co.jp/theme/sanwa/img/story.pdf
>
> ご一読を薦めます。
のさん、コメント有難う御座います。
知らない事がまだまだありそうですね!
URL一読させて頂きました。とても勉強になりました、
当時の関係者の方々のバイタリティーに感謝ですね、
文中の中に出てくる方々の名前も何人か存じ上げており
幼少の頃お世話になり思い出したりしておりました。
帰省の際はぜひ隈府温泉にゆっくりと入りたいところです。
> ・少し上流の方へ川岸を歩いて行くと玉祥寺温泉へ行く途中
> “欄干のない木製橋(板張り)”で作られた橋が架けられており
> 結構友達とはしゃいで渡りました、大雨や台風が来ると片方の岸に
> 巻き取られていた光景が思い出されました。
> 木製橋(板張り)概略;記憶ですのでだいたいです
> 水面から約2mから2m50p程度、長さ50mから60m程度
> 橋脚は川石で器用に積み上げられていました今思えば職人さんの
> 仕事だと思います。
> →現在はコンクリート製の橋に変わっていると思います。
> ・木製橋(板張り)の目と鼻の先に下ン川がありそこでも
> よく泳ぎました。
キンさんありがとうございます。キンさんの投稿で玉祥寺橋の姿が浮かびました。土台の部分は丸石の詰まった蛇篭でその上に丸太が組まれてその上に開いたが並んでいました。この橋は玉祥寺温泉が入湯客のために私費で掛けられたものと誰かが教えてくれました。幼なじみのK君とその橋を渡った記憶がありますが、玉祥寺温泉に入った記憶はありません。
と、ここまで書いて「玉祥寺温泉とは何だったのだろうと思って検索してみたら、『菊池温泉掘削物語』と言う本のリンクが出てきました。何と菊池温泉掘削のドキュメントです。表紙から奥付まですべて読むことができました。当時の隈府の人たちの温泉掘削に掛けた情熱に私は大感激しました。
https://www.sanwa-a.co.jp/theme/sanwa/img/story.pdf
ご一読を薦めます。
毎日毎日、雨、雨、雨、が続き、ここは屋久島?熱帯雨林?
慣れてしまえば適度な湿り気…と思い始めた昨日の朝
突然、ギラギラの日差しがやって来ました。
今日は蝉も鳴きはじめ、梅雨明けを知らせているのでしょうか。
それとも蝉の勘違い?梅雨明けもどきかもしれません。
とにかくこれまですっきりしなかった洗濯物がいっぺんに乾き、
日光もまた有り難いです。
昨夜、天井でバタバタ飛び回る虫がいました。
不規則な動き、騒音、せからしいことこの上なし!です。
見れば鮮やかな緑色。ああ、カメムシです。
触ったら臭い!と聞いているので、関わりたくないのですが
なんとか御退室願いたい。そこで
窓を開けて部屋の電気を消してみました。
1・2・3・4・5・・・
10秒ほどしてから電気をつけました。
ん?音がしない。退室?
いえいえ、いらっしゃいました。畳の上に。
チャンスかもしれないと紙を2枚用意して捕獲にかかりました。
できるかな?静かに静かに近づくと
いきなり電気が消えたことにショックを受けていたのでしょうか
おとなしくなって動きませんでした。
無事、二枚の紙にすくって窓から出ていただきました。
「やったぁ」
初めてのカメムシ移動体験、達成感がありました。
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> > キンさんの記憶力の良さに掲示板管理人も驚いております。
> > 「そうだった…」と、その頃の橋の様子などもよみがえってきたそうです。
> > 当時、川遊びシーズンが始まる前に、予備調査のような行事があり
> > 小学6年生が川の中に立って手を上げて調査者に水深を知らせたそうです。
> > その6年生の姿に憧れていた5年生もいた、と聞きました。
> > いいお話!
懐かしい投稿ありがとうございます。
この投稿から24年!四半世紀経ってしまいました。
川遊びをしていた記憶は今も鮮明によみがえってきます。
皆、夏休み中泳いで真っ黒になりました。
唇が紫色になるまで泳ぎ、水が耳に入ると日に焼けた岩に耳を当て
生ぬるい水がとろっと出てくるのを待って、また飛び込みの繰り返しでした。
本当に他に何もなかった時代でしたが、豊でしたね。
>
> キンさんの記憶力の良さに掲示板管理人も驚いております。
> 「そうだった…」と、その頃の橋の様子などもよみがえってきたそうです。
> 当時、川遊びシーズンが始まる前に、予備調査のような行事があり
> 小学6年生が川の中に立って手を上げて調査者に水深を知らせたそうです。
> その6年生の姿に憧れていた5年生もいた、と聞きました。
> いいお話!
> ・袈裟尾橋近辺でもよく遊びました、
> 主に釣りなど(せいじゃんばばがよく釣れました)、
> 夏の夜橋の上から袈裟尾側の岸を観ると蛍が密集してとても
> きれいでした。
> ・少し上流の方へ川岸を歩いて行くと玉祥寺温泉へ行く途中
> “欄干のない木製橋(板張り)”で作られた橋が架けられており
> 結構友達とはしゃいで渡りました、大雨や台風が来ると片方の岸に
> 巻き取られていた光景が思い出されました。
> 木製橋(板張り)概略;記憶ですのでだいたいです
> 水面から約2mから2m50p程度、長さ50mから60m程度
> 橋脚は川石で器用に積み上げられていました今思えば職人さんの
> 仕事だと思います。
> →現在はコンクリート製の橋に変わっていると思います。
> ・木製橋(板張り)の目と鼻の先に下ン川がありそこでも
> よく泳ぎました。
キンさんの記憶力の良さに掲示板管理人も驚いております。
「そうだった…」と、その頃の橋の様子などもよみがえってきたそうです。
当時、川遊びシーズンが始まる前に、予備調査のような行事があり
小学6年生が川の中に立って手を上げて調査者に水深を知らせたそうです。
その6年生の姿に憧れていた5年生もいた、と聞きました。
いいお話!
> > 橋の名前を調べてみました。
> > 新袈裟尾橋のようです。
> > (袈裟尾と玉祥寺の分かれ目がわかりません。亘と片角も。切明と迎町も…)
> > 玉祥寺橋は擬宝珠がついた橋ですよね、牛若丸が出てきそうな。
> >
> > かつてはその橋から飛び込みを?
> > そうとう水が深かったのでしょうね。
>
> 男の子たちは玉祥寺は橋から飛び込み、
> 万田は木に登って枝にぶら下がって飛び込んでましたよ
> 今では考えられない飛び込み方でした。
美さん、yokoさん
コメント有り難うございます。
袈裟尾橋でしたか、もう一度表紙を観ました、
たしかに玉祥寺橋とは少し異なる様ですね玉祥寺橋の方が水面からの高さがある様ですね。
・袈裟尾橋近辺でもよく遊びました、
主に釣りなど(せいじゃんばばがよく釣れました)、
夏の夜橋の上から袈裟尾側の岸を観ると蛍が密集してとても
きれいでした。
・少し上流の方へ川岸を歩いて行くと玉祥寺温泉へ行く途中
“欄干のない木製橋(板張り)”で作られた橋が架けられており
結構友達とはしゃいで渡りました、大雨や台風が来ると片方の岸に
巻き取られていた光景が思い出されました。
木製橋(板張り)概略;記憶ですのでだいたいです
水面から約2mから2m50p程度、長さ50mから60m程度
橋脚は川石で器用に積み上げられていました今思えば職人さんの
仕事だと思います。
→現在はコンクリート製の橋に変わっていると思います。
・木製橋(板張り)の目と鼻の先に下ン川がありそこでも
よく泳ぎました。
> 橋の名前を調べてみました。
> 新袈裟尾橋のようです。
> (袈裟尾と玉祥寺の分かれ目がわかりません。亘と片角も。切明と迎町も…)
> 玉祥寺橋は擬宝珠がついた橋ですよね、牛若丸が出てきそうな。
>
> かつてはその橋から飛び込みを?
> そうとう水が深かったのでしょうね。
男の子たちは玉祥寺は橋から飛び込み、
万田は木に登って枝にぶら下がって飛び込んでましたよ
今では考えられない飛び込み方でした。