今朝は、我家で取れた胡瓜・紫蘇・茗荷・トマトを入れた冷や汁だった。子供の頃に、飯がねまら(腐敗)ないように軒先につるした「しょうけ(ざる)」の冷や飯を茶椀に盛って、冷たい味噌汁をぶっかけてサラサラと食べたものだった。
> 今朝は、我家で取れた胡瓜・紫蘇・茗荷・トマトを入れた冷や汁だった。子供の頃に、飯がねまら(腐敗)ないように軒先につるした「しょうけ(ざる)」の冷や飯を茶椀に盛って、冷たい味噌汁をぶっかけてサラサラと食べたものだった。
なんと贅沢な朝ご飯!
私は先週、親戚の初盆で、人生初の冷や汁をご馳走になりました。
ご飯にかけたわけではなく、冷たいお味噌汁。
暑い日で、体にしみるように美味しかったです。
聞けば、全く火を使わずに作るそうで「慣れれば簡単よ」と言っていました。
ゴマとか味噌を炒めると言っていたような気がしますが…その時点で「難しそう」とあきらめてしまいました。
写真に「冷や汁」の素の袋が見えます。これなら簡単かもしれません。
ご存じかもしれませんが玉祥寺水浴び組の象徴だった「玉祥寺橋」の掛け替えが進んでいます。
これまでの橋の少し下流に新橋の建設が進んでいて隈府側の取り付け道路と橋桁が完成しています。いずれ今の橋は撤去されるでしょう。
よく散歩するコースなので写真だけは撮っておこうと思っています。
> ご存じかもしれませんが玉祥寺水浴び組の象徴だった「玉祥寺橋」の掛け替えが進んでいます。
> これまでの橋の少し下流に新橋の建設が進んでいて隈府側の取り付け道路と橋桁が完成しています。いずれ今の橋は撤去されるでしょう。
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> よく散歩するコースなので写真だけは撮っておこうと思っています。
今でも鮮明に覚えています。あれは66年前、小学校3年生夏休み最終日、8月31日の玉祥寺橋の欄干。それまで、どうしても橋から飛び込むことが出来なかった私は、意を決して両手を離して飛び込んだのです。両手で股間を抑えようとしたのに、飛び込んだままの姿勢で水中へ。そして、水面に顔を上げた時に、今まで経験したことが無かった充実感に満たされていたのです。
> 今でも鮮明に覚えています。あれは66年前、小学校3年生夏休み最終日、8月31日の玉祥寺橋の欄干。それまで、どうしても橋から飛び込むことが出来なかった私は、意を決して両手を離して飛び込んだのです。両手で股間を抑えようとしたのに、飛び込んだままの姿勢で水中へ。そして、水面に顔を上げた時に、今まで経験したことが無かった充実感に満たされていたのです。
宝物の記憶ですね。通過儀礼というのでしょうか?
万田遊泳場ではまず向こう岸の亀石にたどり着かなくてはなりませんでした。足のつかない数メーターを死にものぐるいの犬かきで水中の亀石にタッチして身を確保すること。「向こう岸」にいけるようになることで万田の世界は広ったものです。
玉祥寺から下ン川の土手沿いの道をよく散歩しますが今でも流れに入ればそのまま泳ぎ出せるような錯覚に入ります。でも、これは実行しない方が吉でしょうね。
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> 宝物の記憶ですね。通過儀礼というのでしょうか?
> 万田遊泳場ではまず向こう岸の亀石にたどり着かなくてはなりませんでした。足のつかない数メーターを死にものぐるいの犬かきで水中の亀石にタッチして身を確保すること。「向こう岸」にいけるようになることで万田の世界は広ったものです。
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> 玉祥寺から下ン川の土手沿いの道をよく散歩しますが今でも流れに入ればそのまま泳ぎ出せるような錯覚に入ります。でも、これは実行しない方が吉でしょうね。
玉祥寺橋の写真、有難う御座います。小学3年生で良くあそこから飛び込んだと思います。
> 玉祥寺橋の写真、有難う御座います。小学3年生で良くあそこから飛び込んだと思います。
離れてみているとできそうでも実際にそこに立つと思ったよりはるかに高くて足がすくんどという経験があります。水面の波紋がはるかに遠い。
> > 玉祥寺橋の写真、有難う御座います。小学3年生で良くあそこから飛び込んだと思います。
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> 離れてみているとできそうでも実際にそこに立つと思ったよりはるかに高くて足がすくんどという経験があります。水面の波紋がはるかに遠い。
懐かしいお話し有り難うございます。
夏休みの玉祥寺、万田、下ん川の話はいつまでも尽きませんね。
ちょっとむきになってしまうほど、自分のテリトリーが一番なんて思ってました。
玉祥寺の橋架け替えなんですね。
今では考えられない橋からの飛び込みでしたね。